最近は街の片隅や、草むらで見かけることが少なくなってしまった、野良猫。塀の上、路地のうら、土手の草むら。かすかな鳴き声をたどって居場所を探したこともありました。彼らはどこへ行ってしまったのでしょう・・・?どこかへ移住したのでしょうか?
ありふれた、普通の風景だったその猫たちが、ある日突然 消える?「なんか最近、あんまり野良犬とか野良猫って 見ないよね?」「嫌いでもないけど、急に近寄られても、それはそれでイヤかも。」
それって、違和感がある!と感じるのは私だけでしょうか・・野良、とくくられてしまった猫や犬の存在と居場所、生まれながらでも厳しのに飼い主のわがままで、途中から野良の世界に放り込まれた、小さな命。
知らぬ存ぜぬでは、通りすぎてはいけない気がするのです。私じゃなくても、私たち人間の中の誰かがしてしまっている行動。あらゆる命の尊さを、他人事で済ませては、猫さまにも失礼ではないでしょうか?
野良猫がいなくなった理由は?どこにいるの?
私が子供のころは、登校中の道路にも、公園にも猫ちゃんたちはいっぱい、いました。春と秋頃は、仔猫が増えていたと思います。近所のおば様たちは、「ふけ」の時季かね、猫の鳴き声うるさいね。とも言ってました。つまり繁殖期、恋の季節だったのですね。
私たちはそうして、なんとなく生態系を曖昧に感じながら過ごしていたんだと思います。最近、見かけなくなった猫ちゃんが、少し離れた場所で、冷たく横たわった姿を目にし、胸がいたくなり一日ブルーだったこともありました。そう初めて命が消えていく体験です。
友達の家でも、猫ちゃんをよく見かけました。私が幼いころは、犬は外、猫は家といった印象があります。猫ちゃんは、自由に家を出入りし気ままさをまとった存在でした。
時代の流れのせいでしょうか?最近はのんびり散歩したり、日向ぼっこしたりしてる猫ちゃんを見かけません。猫ちゃん達は、どこに消えてしまったのでしょう・・・
野良猫は汚い?病気がうつる?
いつからでしょう?犬も猫も、野良は汚い!触ってはいけない。病気がうつる。心無い大人たちの刷り込みで、幼少期の子供たちはい、気軽に身近な動物たちと触れ合ってはいけなくなってしまいました。
住宅事情も関係してくるからでしょうか?古くても一軒家、または長屋が消え、アパートやマンション、市や県管轄の集合住宅は、ペット厳禁!そして昔より機敏になった保健所によりオシッコが臭い・子供が危ない、などの通報で捕獲される野良ちゃん。
一番身近で学ぶはずの、命の尊さを感じられなくなった子供たち。野良ちゃんは自由を奪われ、住みずらくなって、行きつく先は順番待ちの殺処分。このことを、どれだけの人たちが不自然だと、平和でないと感じてくれてるのでしょう。
これは、人間様のわがままによる、悲しい現実です。
野良猫のボランティア団体の援助もある!
そんな中、昨今は猫ブーム?本当に猫ブーム?ペットショップにも、記憶できないほどの種類の、猫ちゃんたちが勢ぞろい。誰よりも、目立つ可愛い猫たちを探し求める人が増えてきました。SNSの普及も手伝い、猫の魅力にハマリ出す飼い主さんも増殖。私もその一人ですが・・
でも光の裏には影があります。全国にもボランティア団体が増え、殺処分が無くなるよう惜しみない努力をしてくださってる方々がいっぱい、いらっしゃいます。猫カフェなども増え始め、少し違った形で、猫ちゃんと触れ合える機会もあるようです。
しかし、いつの時代も背中合わせで不条理は存在します。可哀想と保護し過ぎて、多頭飼育崩壊の末、救ったはずの命のバラまき。利益だけを求めて、一部の猫カフェの猫ちゃんはオーナー様がワクチン接種や健康管理を怠り、お客様の前に出す始末。
そして、もっとも哀しいのは 動物虐待!
SNSで惨酷な映像をわざわざ拾い流して、 助けましょう!とのシュプレヒコールは、私には違和感でしかありません。そして飼い主さんは我が子を守るため、昔のように猫ちゃんを外へ出さなくなりました。脱走に敏感になり、グッズや手作りの柵で、完全防御!閉じ込め作戦です。
それでも、外が恋しい猫ちゃんは・・・リードでお散歩?そう、猫ちゃんが繋がれてお散歩!昔では考えられない光景。私も脱走する、ひなた姫にリードを購入してしまいました・・・
サザエさんの歌にあるような 、♪おさかな くわえたどら猫 おっかけて~♪軽いフットワークと優れたジャンプ力で、屋根や、塀や、木の上を上るカッコいい猫ちゃんの姿は見ることが難しくなったようです。
野良猫の自由の形とは
私も猫ちゃん二匹と共存しております。猫垢でTwitterもやっております。白黒ミックスの2歳の姫「ひなた」とキジトラの弟分「ラニ」。
ひなたはボランティア団体から、ラニは保健所から我が家にきました。私も虐待や交通事故が怖くて我が子を外へは出さないよう心掛けてます。しかし、ひなたは脱走のプロでして、幾度か外の楽しさを体感しております。
幸いなのは今はちゃんと帰宅してること。でも、いつか彼女が野生の好奇心を覚醒させもっとエリアを広げ、手の届かない所へいってしまったら、車に轢かれ、もどれなくなったら・・そう考えると複雑な感情に押しつぶされそうになります。
そんなある日、猫垢Twitterで「車にはねられて、亡くなった猫ちゃんです。首輪をしているので早く飼い主さんと合わせてあげたいです。」とありました。必死で探していた飼い主さんが,これを見たら悲しいですが、ありがたいことだと思うでしょう。
私も何故かほっとして、その方に感謝しました。箱に入り、毛布もかけられて優しさに触れた気がしたのです。とても細いけど 救いの光に見えたのです。
翌日から私は、我が家の二匹に迷子札を付け、運転する者として、トランクにビニール手袋とお古ですがバスタオル、通販好きで溜まってしまう、段ボールの小さめサイズを積むようになりました。仮に野良ちゃんだったとしても、何度も轢かれるのは哀しすぎると思ったからです。
ダイヤル9910で、道路管理事務所につながり、名もなき猫ちゃんやワンちゃんの遺体を引き取りにきてもらえます。手厚く弔えなくても、道路わきに寄せてあげるだけでもいい思うのです。記憶の隅にでも、残していただけたら嬉しいです。
野良猫はどこにいる?野良猫がいなくなった本当の理由は私たちだった?
Twitterを見ていると、地震や災害で脱走してしまった猫ちゃんを、必死で探している飼い主さん。呑気に散歩していただけで、悪魔の手にかかり、虐待の餌食に合う小さな命。各自治体などで、避妊などの手術を施され戻される野良ちゃん。地域猫とも呼ばれていますね。
毎日各地で殺処分がせまっている命を、必死で飼い主探しするボランティア団体さん。その中に元飼い猫もいたりするのは 本当に胸が張り裂けそうです。
今の時代、野良ちゃんだけでなく、弱いものは守られることなく 生きずらい世の中なのでしょうか?それでも私たちは希望を捨てず、理解しあい共存しなければ、すべての生態系が崩れてしまうような気がするのです。
緑や綺麗な川が減っていって、ちょうちょやホタルを見かけられない。それなら私たちが緑を増やし、川を再生させる。猫ちゃん達がのんびりできる場所を作る・・?猫の島といわれてる青島。それも猫ちゃんにとっては、楽園のかたちなのでしょう。
野良猫がいなくなってしまったのは、命の尊さをはき違えてしまった、私たちのせいかもしれません。生殖機能を操ってまで守りたいものは何でしょう?
いなくなったのではなく、捕獲され保健所で、死を待つだけの野良ちゃん達を解き放つ術は本当にないのでしょうか?何故見かけなくなったことに気付かなかったふりをして違和感に蓋をしてしまったのでしょう。
この見ないふり、感じないふりは私たち人間に降りかかってくる、恐ろしい未来になりかねないのではないか、と思ってしまいます。少しネガティブになってしまいました。
ここで、ただひたむきに人間を拒むことなく、そこに存在している、人懐こい野良ちゃんの動画に癒されてください。
どうでしょう?それでも残され、生き延びている猫ちゃんには希望を託したいです。たくましく、生まれ持った優れた能力で、生き抜いてほしいです。自然に子供を身ごもり子孫を増やしてほしいです。そのお手伝いができたらいいなと思うのです。
その小さな気持ちが、集まってそれが野良ちゃん達の、楽園探しになるように。野良ちゃん達を邪険にせず、そっと見守る、暖かい気持ちが楽園にたどり着くように。
どこかに見つかる、優しさと暖かさの宿る場所。それがどうか夢物語で終わらないようにと祈るばかりです。
皆さんが、手を差し伸べると触れられる、その温かい命が、どうか大切に守られますように・・・・
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